2013年7月15日月曜日

語りは無償の愛

 68日に「第7回新潟県民話語り」が長岡で開かれ、所属する「月潟おはなしの会」の一員として参加しました。県内の「語り」の活動をしているグループ10団体と一般参加者が、会場のアオーレ長岡・市民交流ホールに溢れんばかりに集まり、県内各地の語りの披露を楽しみました。
 新潟は全国有数の「民話の宝庫」と言われ、たくさんの語り継がれた民話が伝承されていますが、それを語り伝えようという活動も活発で、語り手の技量の水準もとても高いと思いました。「あったてんがのう」と語り始めると、会場からも「そういんだー」「さーんすけ」と合いの手が入り、まるで囲炉裏端でお年寄りを囲んで話を聞いているような、なんともあたたかい空気に包まれました。
 基調講演は、民話研究家の野村敬子さんによる「今・語ること」と題したお話でした。野村さんは夫の民俗学者・野村純一さん(故人)と共に、民話の採集のために全国各地を歩いてこられました。大震災の被災地である東北地方は、ご自身の出身の地でもあり、また何度も足を運んでたくさんの人々から話を聞いた地でもありました。
 「語り」とは「命に向かっての言語活動」であると野村さんは話されました。自らの楽しみとして、民話を語ったり聞いたりしている私たちには、それはずいぶんと大仰な表現に聞こえましたが、産屋の語り、病室の語り、お通夜の語り…など、これまで日本で行われてきた民俗は、「生命の危機」に直面した場面で、人々が寄り添い、魔物を追い払うために生まれてきたものであることを知らされました。
 震災後に野村さんは被災地を訪れ、かつて民話を語ってくれた人々を訪ねたり、被災した人々に話を聞かれたりしたそうです。野村さんは、「人間がすべての物品を失ってしまったとしても、昔話は言葉で自分を検証し、その命に向けた感動の法則性を探して生き続けていくこともできる」ということをいつも言ってきたのだが、それが現実となってしまった、と『震災と語り』(石井正巳編 三弥井書店 2012)の中で語っておられます。苦難と悲しみの中に今もある人々にとって、本当に必要なのは、語り合い、聞き合う人間の「関係性」なのだということが納得させられる野村さんのお話でした。
 そのことから、私たちは「語り」とは本来どういうものなのかという本質性を学ぶことができたように思いました。ただ上手い語り、下手な語りがあるのではなく、「語り」になっている語りと、そうでない語りがあるということを。語りには必ず聞き手がいて、その両者の間には、響き合う心、結び合う魂の動きが生じるということです。「語り手は、自分をそぎ落とさなければならない。なぜなら語りは無償の愛だから」と野村さんは言います。
 「私は50年間、東北の採訪で語り手から何を聴いてきたかといえば、命に障るような大変なときには、『人はね、1人ではだめだから、必ず声を掛けてやるんだ』という精神でした。宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の詩の、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ』『南ニ死ニソウナ人アレバ/行ッテコワガラナクテモイイトイイ』の精神です。」(『震災と語り』より)
  「語り」の力を信じて、語り合い、聞き合い続けたいと思います。
(2013年6月記)