2013年6月30日日曜日

学校司書の孤独

 新潟市には170校の市立小中学校がありますが、そのすべてに「学校司書」がいます。学校司書は、養護教諭や事務職員のように「必ず置かなければならない」と学校教育法に定められている職種ではないので、新潟市の学校司書は、新潟市が独自に雇用しているということです。
 新潟市の学校司書の歴史は長く、50年以上前からPTAによる雇用が始まり、その後公費による雇用が拡大していって1998年には全校配置が実現しました。2005年の大合併時に学校数が倍増した際に、当初市長は、「新市域の学校は図書館ボランティアを置くことで対処する」と言っていたのを、市民や学校現場からの強い要望により、新市域の学校にも学校司書が置かれました。しかし、新しく置かれた司書は、すべて臨時職の司書でした。
 今年5月に、新潟市内の中学校司書が約3000冊の蔵書を転売して売ったお金を着服していたことが明らかになり、大きなニュースとなりました。この司書は臨時職でした。私はこの司書と同じく、臨時司書として新潟市の小中学校に57か月勤務した経験があり、今も仲間たちと学校図書館の勉強会を続けていますので、私たちの仲間であるこの司書の起こした事件に大変ショックを受け、事実を重く受け止めています。
 この事件からはさまざまな問題が見えてきました。この司書の行為は許されないことですが、この事件の背後には生活困窮(ワーキングプア)の問題がありました。時給制、学期雇用という不安定な条件の「臨時司書」を長年雇用し続け、待遇改善をほとんど行ってこなかった市の責任も問われると思います。さらに、合併以降、正規職の司書を公共図書館へ異動させ、公共も学校も司書の新たな採用は非常勤と臨時のみとなっているため、司書職を希望する人たちは非正規労働を余儀なくされている新潟市の状況というものがあります。
 もうひとつの問題は、3000冊もの新しく購入された本がなくなっていたのを学校現場が気付かなかったことは、何を意味するのかということです。それほどに、学校教育の中で図書館や司書が活用されていなかったということでしょう。もっと穿った見方をするなら、司書が来てくれたので、図書館のことはすべて司書に丸投げをして、校長はじめ教員たちは図書館に関心を示さなくなったという現象がおきたのかもしれません。この学校は新市域の学校でしたが、もしそうであるなら、「子どもたちの教育のために学校に司書を」という市民の熱い要望は、役に立つどころかあだになってしまったとさえ言うことができるでしょう。いずれにしても、司書は学校の中で孤立していたのです。
 しかし、このような学校ばかりでなく、司書が置かれるようになってから、子どもたちがたくさん本を読むようになり、教員も司書と協働しながら授業や様々な活動で図書館を活用し、より豊かな教育が実現しているという学校も少なくありません。

 今、国会では全国の学校に司書が配置されるように、学校図書館法を改正しようという動きがあると聞きます。「教育機会の公平性」の観点から、一刻も早く全国の小中学校に学校司書が置かれるようになることを望みますが、ただ置いただけでは税金の無駄遣いどころか、このようなみじめな事件も起こりかねません。学校図書館や学校司書の問題については、「学校教育の在り方」という大きな論議の中で、教員はもちろん、行政、市民も一体となって話し合っていってほしいと思います。
(2013年6月記)

2013年6月20日木曜日

カウンターは相談所

 図書館には必ず「カウンター」と呼ばれる場所があって、そこに職員がいます。ここは本を借りたり返したりする場所。スーパーのレジみたいなところ。借りたい本と貸し出しカードを出すと、バーコードをピッとやって貸し出してくれます。それだけの仕事なら、高校生のアルバイトでもできますが、図書館の職員の多くは「司書」という専門職の資格を持っています。文字通り、本を司る仕事ですから、本についてのさまざまな知識・情報をもっているのです。
 だったら、本について知りたいことを聞かない手はありません。司書の人も「ピッ」だけやっててはつまらないんですよ、実は。だれかが質問や相談に来るのを手をこまねいて待っているんです。だってそれこそが司書の本領を発揮するチャンスなんですから。
 デジタル派の私は、自分のパソコンでなんでも検索して探してしまいますが、アナログ派の人は司書をパソコン代わりにしてください。「村上春樹の書いた本で、題名にビートルズの歌のタイトルが使われてる本ってなんでしたっけ?」と聞いたら、「『ノルウェイの森』ですね。単行本と文庫版がありますが、どちらにしますか」とか答えてくれるはず。「遺産相続について知りたいんですが…」と聞けば、「法律の棚、324のあたりを見てください」と教えてくれるでしょう。
 このように図書館で質問することを、図書館界では「レファレンス」と呼んでいます。デジタル派の私でもこのレファレンスは時々利用しています。
 たとえば、星新一のショートショート(1000篇以上あります)の「おーい、でてこーい」を読みたくなりました。でも、これがどの出版社から出てるシリーズのどの巻に入っているかがわかりません。そういうとき、カウンターに行って「それが入ってる本、探してください」と頼みます。そんなのお茶の子さいさいとばかり、すぐに連絡が来ます。(この時に、分冊の文庫版を出してくるか、どでかい一巻物の全集を出してくるかで、司書の力量がわかったりもしますが。)
 またあるとき、桃太郎が腰に付けている「きびだんご」がいったいどんなものなのかが知りたくなりました。まずは図書館に、「ありったけの『桃太郎』を」とお願いしました。すると、市内中からありとあらゆる『桃太郎』の絵本や昔話集を取り揃えてくれました。いやはや、いろんな桃太郎があるもんだ…きびだんごはお菓子のようなものかと思っていたら、「弁当を作ってくれ」と桃太郎がおばあさんに頼む話もあって…。
ではそもそも「きび」とはどういうものなのか? 今度は「きびについて調べたいんですが」とお願いしました。しばらくすると「ご用意できたので来てください」と連絡があり、図書館に行くと大テーブルの一隅に本が山と積まれてありました。百科事典あり、何やら難しそうな専門書あり…でもそのひとつひとつに付箋が貼ってあり、「きび」が出ているところがすぐわかるようになっていたばかりでなく、一部の資料については司書の人が目を通して「これにはこのようなことが書いてある」というメモまでつけてありました。桃太郎についての一大論文が書けそうでした。

人生相談以外は何でも相談してよいのが図書館なのだそうです。いや、恋愛相談を受けたある司書は、その利用者にそっと一冊の詩集をお勧めしたのだそうな。図書館のカウンターを「スーパーのレジ」にしておくのはもったいない! 大いに質問したり相談したりしながら、図書館に埋もれている宝の山を手にしようではありませんか。
(2012年8月記)

2013年6月4日火曜日

本を予約する

 図書館利用者は、タイプとしてアナログ派とデジタル派に分かれるようです。図書館に行って、書架に並んでいる本をぶらぶらと見ながら読みたい本を探すのがアナログ派。新聞書評や広告を見て、「この本を借りよう」と思ってピンポイントで本を借りるのがデジタル派。アナログ派が図書館に行って真っ先に向かうのは、展示棚や新刊書コーナーであるのに対し、図書館に入ってきたデジタル派が脇目も振らず突進するのは、蔵書検索機。あるいは、自宅でパソコンから検索したデジタル派は、予約した本をカウンターに取りに行くだけで、図書館内をぶらぶらはしません。
 私はデジタル派です。「おっ、この本ちょっと読みたい」と思ったら、即パソコンを開けて「新潟市の図書館」の「資料の検索」から検索をかけ、本があってもなくても「予約」をします。(新潟市の図書館にない場合は、市外の図書館から相互貸借をしてくれたり、ものによっては購入してくれたりします。)
 市内図書館に本がある場合は、あっという間にメールで「ご用意できました」の連絡が来るので、あとは最寄りの西川図書館のカウンターに取りに行くだけ。新潟市の図書館ではこの数年、オンライン化が進み、市内19館の図書館といくつかの地区図書室がネットワークにつながり、それらの館のすべての本をどの図書館でも借りられる(&返せる)ようになっています。ほんとうに便利になり、市内全図書館が「我が家の本棚」化して、読みたい本は即座に借りられるようになりました。
 しかし一方でこのオンライン化は、予約が入れば、利用の少なかった小さな図書館からでも本が持ち出されてしまうため、人気の高い新刊書などは書架に留まることがなくなりました。これはアナログ派の人にとっては痛手です。書架の間を歩いても、新しい本、話題の本が見つかることが少なくなったかもしれません。
 でもどうかそこであきらめず、カウンターへ行って聞いてください。「最近出たあの本はないのか?」と。そのときなくても予約をすれば、借りることができます。人気本はちょっと待たされますが。(でも新潟市には19館[+地区図書室]もの図書館があるので、人気のある新刊本は20冊以上所蔵されており、たとえ予約100人待ちでも1冊につき5番目ぐらいに順番が回ってきます。)
 図書館にもひとつお願い。本が書架になければ「ない」と思ってしまわないような対策を。図書館だよりや展示コーナーで本の紹介をたくさんしてほしいと思います。白根図書館では、新聞書評を切り取って展示しているコーナーがあり、素晴らしいと思います。(注・最近なくなってしまいました。残念!)中央図書館の児童コーナーでは、児童書の紹介文に本の表紙写真が添付されていて、本がなくなってもどんな本かがわかるようになっています。
インターネットの普及により、今後アナログ派利用者は「情報弱者」になっていくことが懸念されます。アナログ派への細やかな配慮と対応、アイデアを駆使してのさまざまな工夫を図書館にお願いしたいと思います。まずなによりも、「予約」ができることを、掲示物などでもっと知らせていってください。それにより、貸出冊数も増加すること間違いなしです。
(2012年8月記)