私は「月潟おはなしの会」という語りのグループに所属しています。しかし私自身は民話などをひとつも語ることができないので、常に事務係、かばん持ちです。このグループのメンバーと、10月3日から5日まで、「全日本語りの祭り」に参加するために岡山へ行ってきました。
「祭り」の前日、岡山県新見市大佐小阪部にある「人柱地蔵」を訪ねました。これは、200年以上前に、何度作っても流されてしまう井堰を再建するために人柱となった「友吉」を祭った地蔵ですが、六部(巡礼行者)であったこの友吉という人は、なんと「越後の国月潟」の出身と伝えられています。
この話を私たちに伝えてくださったのは、岡山の民話や伝説に詳しい岡山民俗学会名誉理事長の立石憲利さんでした。
倉敷で行われた「語りの祭り」は、この立石さんの基調講演で始まりました。「岡山と桃太郎」と題した講演の中で立石さんは、日本全国に語り継がれているさまざまな形の桃太郎話を紹介され、さらに桃太郎話の源流と言われる岡山県においても、一般型、酒呑童子風、寝太郎風、猿蟹風、金太郎風…といろいろに変化したお話があることを説明されました。
民話がこのように変化するのは、人から人へと口伝えで伝承されてきたからである、と立石さんはおっしゃいます。民話は、語り手と聞き手の共同作業によって作られてきたもので、人と人とをつなぐ「絆」である、と述べられました。
まさに小阪部に語り継がれていた「人柱地蔵伝説」は、はるか700キロ以上離れた岡山と新潟の人々をつなぎ、あたたかい交流を紡ぎ続けています。この伝説は、立石さんの著作『おかやま伝説紀行』の中に紹介され、岡山弁で記されていますが、今回これを月潟おはなしの会のメンバーが新潟弁に直して、「語りの祭り」の分科会で披露しました。
語りは一言一句間違わずに覚えるものと思っている人が多いように思いますが(私たちも始めたころはそうでした)、人から人へと伝えられる中で変化するのは当たり前、という立石さんのお話は説得力のあるものでした。ついつい覚えることばかりに夢中になってしまいますが、大事なのは伝える相手。「自分が語る」という縛りから解放されて、「人に伝える」という意欲と情熱を忘れないようにしたいと思いました。
ところで、私たちはこの「語りの祭り」を数年後に新潟で開催してほしいという期待をお土産にいただいて帰ってきました。それには図書館にかかわる皆さんのご協力が必要。ぜひよろしくお願いします!
(2012年12月記)