2013年12月8日日曜日

図書館と学習室

 普段はガラガラの図書館でも、試験前になると学生たちでいっぱいになります。いつも図書館に来て、借りた本を静かに読んでいこうとする利用者にとって、この時期は頭痛の種。座れないだけでなく、おしゃべりなどマナーをわきまえない若者たちには腹が立ち…。この状況が続くと、図書館への苦情がどんどん増えます。「学生たちを追い出せ」「勉強していたら爺さんに怒鳴られた」…図書館はどう対応するべきでしょうか。「自習禁止」の張り紙を出す図書館もあるといいます。しかし図書館を利用しているのか、単に勉強部屋代わりに机椅子を利用しているのか、判断は難しところです。

 19世紀イギリスの小説家、ジョージ・ギッシングの『三文文士』や『ヘンリー・ライクロフトの私記』には、売れない文筆家たちが日がな一日図書館で過ごす様子が描かれています。ある人物が、貧乏ゆえに図書館のトイレの洗面台で手も顔も体も洗っていたところ、「手以外は洗わないでください」と張り紙を貼られた、という記述もあります。
 原発事故後、節電のために図書館など公共施設で過ごしましょう、という呼びかけを新潟市も含め各地の自治体が行いました。図書館は涼みに行ったり温まりに行ったりするところともなりました。
 図書館は本を利用する場所である、というのが原則です。本を利用しながら勉強する、本を利用しながらくつろぐ、本を利用しながら時にまどろむ…いろんな利用の仕方があってよいと思います。しかし、単に学生の「勉強部屋代わり」、若者の「居場所代わり」、主婦たちの「茶の間代わり」、ホームレスの「休憩所代わり」…図書館がそうなってしまった日には、図書館を愛する利用者としては「情けない」の一言に尽きます。
 「○○代わり」の図書館は、その図書館や地域自体にそうなった責任もあるのではないでしょうか。本来的な目的で利用する人々がたくさん出入りする図書館であれば、「○○代わり」に使うために来る人はだんだん肩身が狭くなり、来るのをためらうか、あるいは本の利用者になっていくでしょうから。
 図書館が勉強部屋代わりになっているもうひとつの問題は、とりもなおさず学生たちにとって「勉強部屋」がないということです。できれば学校が自習室を放課後や休日・休暇中も開放してくれたらよいと思いますが、それも管理的に難しいのでしょう。であるなら、このニーズに応えるのは自治体の生涯学習課(公民館)などの責務ではないでしょうか。

 開館してから1年を迎えた新潟市立巻図書館は、建設前から図書館の「講座室」と学生用の「学習室」は分けて設置してほしいとの要望が強く出されていました。2階建ての建物の1階部分の使用しか認められなかった図書館には、「講座室」(のちに「学習・講座室」と命名された)1室が設けられ、2階部分の使用については、広く市民からの意見も募ったところ、「学習室」を設けてほしいとの要望が多く出されました。しかし、様々な事情から、今も2階部分の利用方針は定まっておらず、空き部屋の状態のまま放置されています。講座室や閲覧コーナーの席が学生でいっぱいになるたびに苦情が増え、また一方で学生からの開館時間の延長を望む声が出される巻図書館の課題は、早急に解決しなければならないでしょう。
(2012年11月記)
図:『ヘンリー・ライクロフトの私記』The Private Papers of Henry Ryecroft(DODO PRESS)

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